はじめまして
パチュリの
原田尚子です

はじめまして、パチュリの原田尚子です。

数あるサロンの中からパチュリを選んでくださってありがとうございます。少し長いのですが、サロン開業までの物語にお付き合いください。

サロンを始めるまでと

これからのこと

子どもの頃

実家の母は、わたしにとっての祖母を大腸がんで亡くしています(祖母54歳のとき)。それ以来自然療法に目覚め、わたしも幼い頃から影響を受けていました。ある日のこと、発熱した母の具合を見に行ったら、頭からキャベツをかぶっていたのには驚きましたが、我が家では東城百合子さんの本がバイブルのようになっていました。 ところでわたしは、幼い頃から人間のからだにも興味があったようです。「家庭の医学」をしげしげと眺めている、すこし変わった子どもでした。 母は、あんまがとても上手。母から受けるあんまが「施術してもらう」初めての体験です。

会社員

PR会社に勤めて二年目、「会社を辞めよう」と決意しました。うっかり受かってしまった(失礼な言い方ですが、ほんとうにそうなの)会社に勤めているうち、自分の眉間にどんどん縦ジワが寄ってくるのがわかります。やりがいがある職業ではありましたが、もともと「なにかと」「誰かと」競争するのが苦手な性格。もう、どうしようもなかったんですね。働くことができなくなってしまいました。

スクール

会社を辞めたら思う存分勉強ができる!と考え、当時はまだまだ少なかったアロマテラピーのスクールに入学したのが、1998年。 入学を決めたきっかけも、今思えばなにかに導かれていたのでしょうね。いくつも資料を取り寄せて、それでもピンとこなかったある日、とあるアロマテラピーショップでひとつの案内書を手にしました。それを見た瞬間「学校説明会に行ってみよう」という気になり、すぐに応募。説明会当日に40度近い高熱があったにも関わらず、マスクをして赤坂までヒーコラ行ったのも、今となっては不思議なことです。 そうして入学したのが、ロンドンスクールオブアロマテラピージャパン(LSA)。

サロン勤務

2000年にスクールを卒業すると同時に、乃木坂にあるサロンでパートタイムとして働き始めました。卒業したてで接客も技術もまだまだだったわたしは、へこたれることも本当に多くありました。仮病使いたいくらい、毎回へこたれていました。 翌年から、経堂にあるお店もかけもちして働き始めました。どちらにしても、とてもいい経験を積むことができ、当時の先輩やオーナーには感謝してもしきれません。失敗ばかりして全然使い物にならないわたしを、よくぞ温かく見守ってくれていたものです。 しかし当然のことながら、お店勤務だと、一人のお客様に費やす時間が限られてしまいます。「ハイ次」というようなリズムで「こなさなくては」いけないし、セラピストのからだも休まりません。これでは長く続けていけない、どうしよう・・・と思っていた頃、 ネットでレンタルサロンの募集を見つけました。

サロンオープン

2005年春、乃木坂、経堂勤務を続けながら、月に二度の成瀬サロンをオープン。 最初から最後まで一人きりでお客様のおもてなしをする経験、本当に楽しくって毎回アドレナリンが出まくっていました。「自分の城」ってこれかぁ~と感激していた矢先、年内でレンタルサロンが閉鎖されることに。 人生初の火事場の馬鹿力を発揮したのが、2005年12月。なんとしても年内に実家の近くに(ずっと実家暮らしでした)場所を見つけて、年明けから自分のサロンをオープンさせるぞと決めたら、なんとか決まるものですね。 2006年1月29日、友人の整体師と日替わりでサロンをオープン。この時、経堂は辞めていましたが、まだ乃木坂勤務を続けていました。 2007年5月、乃木坂も辞め、整体師の友人とも別の道を歩むことにし、一人だけで「パチュリ」を切り盛りすることを決めました。ここからが勝負! 石の上にも三年とはよく言ったものですね。 あたたかいお客様たちと心強い友人、そして長い目で見守ってくれる家族の存在。ほんとうにありがたいことです。自分独りではとてもじゃないけど、ここまで頑張ることはできませんでしたから。 そして、今。 結婚、被災地ボランティア、サロンの引越を経験して、すこしは変化したかな?と思っています。そうしたら、先日数年ぶりにいらしたお客様がこんなことを言ってくださいました。「原田さん、ずいぶん変わりましたね。とても力強いものを感じます」この一言は、セラピストとして本当に嬉しです。客観的にそう感じていただけたことで、これから歩きだすための大きな勇気をいただきました。 いまは、マヤ鑑定士として、ライター業、町田市との関わりや、異業種の方たちとのコラボなど、色々なことをしています。「色々やってて大変ですね」と言われることもありますが、大変だなんて思ったことは一度もありません。好きなことをやりたくてもできないことが多いのに、わたしは好きなことをやらせていただいている。それだけでもう、大感謝。一人ではなし得ないことを、沢山の方のお力を拝借して協力し合って創り上げる。最高の気分です。

ミッション

パチュリのミッションは「施術だけではない」ことを痛感しています。施術以外のファクター全てがわたしを作っていて、そのエッセンスを少しでもまわりの方にお伝えすること。少しでも視野を広げ、「自分の足で自分の人生を歩んでいる」という感覚を体感すること。これこそが、わたしにもまわりの方にも大事なことなのではないでしょうか。 「パチュリ」は、そんなサロンです。 身の回りにとびちっている沢山のキラキラを集め、こころの中に、からだの周りに、自分なりの方法で配置してみませんか?ほんとうは持っているはずの、力強く・優しく・しなやかな部分を見つけるお手伝いができれば、最高に嬉しく思います。

<おまけ>実は・・・

施術者になるつもりもなくスクールに入り、開業するつもりもサラサラなかったのに、今これを生業としていることが面白くてたまりません。現代版マヤカレンダーに出逢ってから、こういうタイミングの必然性をまざまざと見せつけられています。ほんと、人生いろいろ。 それから、このような仕事をしていると「マクロビオティックやっていたり、もちろんお酒は呑まないでしょ?」と思われることも多々ありますが、ぜーんぜん。もちろん口に入れるものは最大限気をつけていますが、絶対!ではありませんし、なにしろお酒は大好きです。みなさま、一緒に呑みに行きましょう。